HSPという概念を知って救われたという方がたくさんいらっしゃると思います。
私は「自分は何者か」という自己探究が一段落付いたところで出合っていて、多くのことは自分の選択次第で変えられると思ってますが"変えようのないもの"に対してとても有益でした。
「人と違うこと=私がおかしい」ではなく、単に「人と違う」という"状態"であることを教えてくれました。そうした考えが他者との境界線を強化してくれました。
例えて言うならアレルギーに近いのかも知れません。(例えが悪かったらごめんなさい)
アレルギーは免疫反応が過剰になったものですが、アレルギー物質が分かればそれを避けるような対策ができます。
体質に対してはどちらかと言えば周囲からの理解を得られやすいですが、気質に対してはいまいち理解が得られない上に自分自身もそんな自分を責めてしまう傾向にありますね。
身体的にせよ精神的にせよ周りから理解されないことは非常に辛いことです。孤独な気持ちにもなります。
世の中というのはどうしてもある程度のスタンダードを決めないと前に進めないものです。
そのスタンダードから漏れてしまった人はある程度工夫が必要ということです。
私は左利きと右利きが混ざったクロスドミナンスというタイプなんですが、世の中のものは右利き用に作られていることが多いです。
右利きの人にとっては違和感なく道具を使ってこられたと思いますが、左利きにとってはハサミすら力の入れ方に工夫が必要なんです。
左利きの人は不器用の烙印を押されやすい気がしますし、本人も刷り込まれてそう思っているのではないでしょうか。
世の中が右利きのために作られた道具が多いことに左利きの人は「そういうもの」と思うしかありません。
だってたまたま自分は左利きに生まれただけで、あなたもたまたま右利きなだけ。
それを自分自身の内面にも言ってあげるのが「HSP」という概念自体の役割の一つだと思います。
そして、HSPを知った上で大事なのはその後です。
HSPという概念に出合うということは"自己探究"という道筋の一つの過程に過ぎません。
今まで"自分はおかしいのか"と思って費やしてたエネルギーを、"じゃあどうする"と別の手立てを考えるエネルギーに充てることが必要になります。
何でも構いません。
コミュニケーション能力で補うのか、心理学などの考え方で補うのか、単純に回避をしていくのか、それ以外の方法でも選択は自由です。
あなたはHSPではありますが、HSPがあなたではありません。
あなたには今まで一生懸命生きてこられた経験があります。
辛い中でもなんとかここまで来た。
世間の秤ではなく今がどんな状況であれ、ここまで来たのです。
今の状況がしっくりと来ているのであれば幸いなことです。
が、もし、今が自分の望んでいる状況にないのであれば、自分が望んでいる状況とはどんな感じか、また今とどれくらい距離がありそうか考えてみませんか。
行動が伴わなくても構いません。
今は傷を癒す時期かも知れませんし、本当にやりたい事なら動ける時期が来るものです。
あんなに嫌だったことが突然"やってみるか"という気持ちになる日が来ることを私は何度か経験してきました。
本当に不思議です。
私は臆病ですが、気がつかないだけでここぞという時には急にやるタイプみたいです。
皆さんは"今思うとよくやったな"と思うことはありますか?
長文お読みいただきありがとうございます。
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