「アート思考」という言葉はご存知でしょうか。
今日は一冊の本をご紹介します。
『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』(末永幸歩 著)です。
これを読んで、今までずっと抱えていた"心細さ"が言語化できるようになりました。
私はずっと「普通にならねばならない」と思い込んでいたことに気づきました。
私が言う「普通」とは何か。
改めて気付いたのですが、どこでも良いから"集団"に染まれることが「普通」と思っているようです。
少数派の"集団"でも構いません。つまり、HSPという集団でも構いません。
私自身もHSPということを知ってから他の方が主催する集まりにも参加したことがありますが、確かに共感できる部分はたくさんあり勇気づけられます。ですが一方で、"非HSP"の話になるとちょっと違和感がありました。単に"違い"として話すのは私もしますが、恨みが強いと同調圧力みたいなのを感じることがあります。
でもそんなことを口にしたら"仲間外れ"、「お前はHSPじゃない」と言われるんじゃないかということを恐れていたのです。
それ以外にも、私はスピリチュアルなことが好きで、またそれに関わる(宗教ではありません)お茶会のような場に行きましたが、同じく染まれませんでした。
正確には価値観に"染まっているフリ"をしていました。
どこの"集団"に行ってもこんな感じです。
アニメや漫画は好きですがオタクにはなれず、日本史好きでも熱く語れるほどでもない。
共感できるところとそうでないところのギャップが大きく、それなのに違うところは違うと言えず誤魔化してしまう。"私が間違っている"と考えてしまうのです。
爬虫類※が擬態するように馴染むのは得意でしたので"集団"から浮くことはありませんでしたが、いつも心の中では"心細さ"が離れませんでした。
(※擬態というとカメレオンのイメージがありますが、カメレオンは周りに合わせて色を変えるのではなく、感情に合わせて発色の鮮やかさが変わるだけです。擬態ならばカメレオンモドキというイグアナの一種が得意です)
本の話に戻ります。
本の中では、美術鑑賞についてを切り口に「すばらしい作品とは」、「リアルさとは」、「アートとは」という価値観を問われます。
改めて問われると漠然とした価値観を鵜呑みにしてきたのがよく分かりました。
この本の最後には「アート」という枠組みが壊れます。
私には言葉を少しずつ覚え出した2歳の姪っ子がいるのですが、彼女が殴り書きのようにして描いた絵に対して「何を書いたの?」と尋ねる自分が急に恥ずかしくなりました。
「何を」と問う私にはすでに"絵とは物質を描くもの"という固定概念があるのです。
そもそも彼女は身体を使って描きたいように描いたのです。何にも囚われない彼女だけのアートです。
大人になるとこんなに不自由なんだと気付かされました。
アート思考とは
『「自分だけの視点」で物事を見て、
「自分なりの答え」を作り出す作法』
『「常識」や「正解」にとらわれず、「自分の内側にある興味」をもとに、「自分のものの見方」で世界をとらえ、「自分なりの探究」をし続けること』
とこの本に書いてあります。
(本当はもっと奥深く、もっと説明したいのですがそれはまた別の機会に)
上手に絵を描いたり、人に認められる作品を作ったり考えたりすることではないのです。
改めて言われるとわかりますが、大人になると無意識に「誰かが決めた正解」を出すことに一生懸命になってしまいます。
言われればわかるということはやはり本当には分かってはいないということなのでしょう。
誰かと同じであることに固執していた私ですが、人と違うところ、うまくいかないところにこそ、「アート思考」が見通しを明るくしてくれるように思います。
「人生はアート」
そう捉えると、私は自由になれます。
見た目が綺麗な作品なんてそこらじゅうにある。見た目の綺麗さではない不細工な作品にこそ愛着が湧くのではないでしょうか。
HSPは元来アーティスト気質とも言えると思います。
アーティスト気質の人にとって、誰かが決めたゴールを目指せと言われるのは"個性を殺せ"と言われるようなものです。
アーティスト気質の皆さんはこの世の"何か変な感じ"に気づける人たちです。
最近有名テレビ番組でも「HSP」が紹介され、自分のことだと気づいた芸能人の方たちが「HSPであることを公表」しています。
すでに私には違和感があります。
私は私なりのこの"問い"に私なりの"探究"を続けていきたいと思います。
そして皆さんの"問い"にもできるなら一緒に"探究"してみたい。
それが私の今の目標です。
長文お読みいただきありがとうございます。
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