明日は母の日ですね。
まだ私は何にも用意してませんσ^_^;
今日は母にまつわることを綴りたいと思います。
にしても、父の日は母の日と比べると影に隠れた感じなのに母の日って忘れることが出来ないくらいアピールされてる気がします。
子にとって母という存在は特別なんでしょうね。
私は父に対しては好きとか嫌いの感情はあってもあんまり引きずるような感情は湧いて来ません。父は放任主義な人なので余計かも知れませんが。
母は逆に”ザ・母”なタイプで世話焼きでよく気がつきます。母が監視カメラみたいに感じるくらいに。
子供が大人になるにつれ、親に秘密にしたいことってありませんでしたか?良いことも悪いことも何か分かんないけど親には知られたくない気持ち。それが大人になっていくということなんだと思うのですが。
もしかしたら親からすると寂しい時期なのかも知れませんが、そこはそっとしておいて欲しいというか。
私の母は私の微妙な表情を感じ取って、いちいち「今日はいい事あったんだねぇ」という言葉とともに私に対して伸びる触手みたいなものを感じて無意識に”イヤだ、見られたくない”と大事なものを隠すような気持ちを思春期くらいから持つようになっていたのを思い出します。
そういうのも影響して私は母の監視カメラに入らないようにコソコソ行動するようになっていました。何てことないことまで。
母に対しての思いは色々あって、私が色々内面で悩みを抱えていた時もルーツはそこにあって、大人になっても無意識に引きずってたんだと驚いたものです。
母は過干渉気味ではありましたがかと言っても普通の人で、毒親でもなんでもありません。
皆、誰しも子供の頃の影響があるはずなのでその範囲の話だと思います。こじらせたのは多分母の中のイライラや空気を読めたのが関係してたのかもと今は納得してます。
色々、母娘間のすれ違いは私の中で解消してきたのですがそれでも母の日や母の誕生日はちょっと憂鬱になります。
母はプレゼントの好みが結構あって、気に入らないと割と顔に出ます。。。
だからあげるのを躊躇われます。
何でも喜ぶような人ならいいのですが、本当に難しい。だからサプライズであげるより本人に聞く方が楽なんですが、予算との兼ね合いもあってアレコレ考えるともう面倒。
それが母の母である祖母も同じタイプで、せっかくおばあちゃんに温かい靴下を買ってプレゼントしても表情ピクリとも動かずで、本当にガッカリしたのです。
今は90歳過ぎて施設に入ってからは「愛情が欲しい」と言っていて、それもまたさらに難しいリクエスト。
だって祖母の言う愛情って”かたちあるもの”を言っているから。
今も祖母への愛は持っているのですが、きっとそれじゃないんですよね。
母と祖母へのプレゼントは本当に喜んでもらうのは難しいのです。針に糸を通すくらいピンポイントのものが必要なので。
他者を変えるのは無理なので私が出来ることは、できる限り観察したり本人と相談の上努力するか、もしくは無理なものは無理と諦めて喜ばなくても気持ちとして渡すか。もしくはあげないといけない選択肢だってある。
2人とも良い人ではあるのですが、こういうところは祖母・母の親子2代の悪い因縁みたいに感じるので私はそれを次の世代には引き継ぎたくないです。そのプレゼントを探してくれた気持ちと手間暇に感謝を持てるようになりたいのです。
逆に善い因縁もあって祖母、母は2人とも忍耐強く働き者。それは見習いたいです。
家系の因縁というのがあるのですが、母系で辿っていくと面白いです。
気質とかは父系も関係するのですが、せっかく母の日なので母系の因縁、繋がりに想いを馳せながら母の日のプレゼントを考えましょうかねぇ。。。(明日には間に合わないけど)
お読みいただきありがとうございます。
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