私は過去35年を振り返って、そんなに言うほど痛い目、人に騙されたとかまではあったことがないのに人がこわいと思っている部分があります。
母がかなりの心配性で私もそれを引き継いでいるのでしょうか?
子猫は母猫に”人間はこわい”と教わると無条件にこわがると聞いたことがあります。
漢字で「怖い」と「恐い」の違いにも関わるのですが、ちょっとグーグル先生で調べてみました。
◯「怖い」は主観的なこわさ。
◯「恐い」は客観的なこわさ。
なんだそうです。
主観を含んでしまうとは思うのですが、できるだけ気をつけながら恐さについて書いていきたいと思います。
私ははじめましての方に会うときは基本的に心の中で”構えて”ます。そこが私の人見知りと自分で思っているところです。
お仕事であってもプライベートでも。
メールなど、文字のやり取りを経て初めて直接会う時は特にかも知れません。もちろん、信じる気持ちは持っていますが緊張感は毎回あります。
どうしても文字で相手を知るのには限界があります。言葉をたくさん並べてもその人の一面を見てるに過ぎないし、受け取り方でも変わってきます。
言葉だけを信じるのは特に難しいです。
例えば、極端な例ですが、結婚詐欺とかもそれを巧みに操る分かりやすい例かも知れません。
とっても優しい言葉をかけてくれる。大切にしてもらえてる気がする。でも実際にやってることはお金のやり取りだったなんてこともあるんだと思います。
本当に極端な例なのでそんな人ばかりではありませんが。
詐欺のような悪意でなくとも、悪気なく大きく・強く見せる人もいます。おそらく、本当の(等身大の)自分を否定してるから大きく・強く見せているのです。
本当に強い人は大きく見せる必要がありません。威圧的なタイプは意外に精神的には私の方が強いかもと思えることが多いのです。私もそうは言いながらそういうタイプにビクビクするのですが、頭の片隅には「ビクビクさせるのがこの人の手だ」と怒っている自分がいます。
逆のパターンもあったりするのですが、「等身大のその人を見る」ということを心掛けています。
これについて書き出すとキリがないので直接お会いする時にでも聞いてやってください。
人は意図的、無意識的にでも嘘、と言うか偽ることがあります。大きくみせたり小さくみせたり。
そこが人の恐い部分だったり分からない部分だと思うのです。
いきなり傷つけられたり、思うようにならなかったり。本当は何を考えているか分からなかったり。
もしくは意識的でなくとも、自分が傷つける側になる可能性だって起こり得ます。
親子からですら傷つけたり傷つけられたりするのです。見ず知らずの人に心を開くなんてそんな難しい話ありません。
人が怖い。
そう思っても仕方がないです。
上手く付き合ってる人がすごく羨ましいと思うかも知れませんが、上手く付き合ってる人も全員100%人を信じて接してる訳ではなく、自分と同じく、怖いと思いながら付き合っている人もたくさんいます。(私のように)
人が怖いと悩むのは人と関わりたいという気持ちが隠れていることが多いのです。
究極、一生人と関わらない方法を考えることもできると思うのですが、本当にそれを望んでいる人はどのくらいいるのでしょうか。
できることなら上手く関わりたいと思うのではないでしょうか。
絶対に誰でも上手くいく方法というのは無いので私の場合の怖さとの付き合い方を書いていきます。
私は疑り深いタイプで、初対面の人をよく観察します。私はなぜか自然と自分自身の”人を見る目”を信じていて、第一印象をすごく大切にしています。
(え?直感?)
えぇ、直感です。。。
なぜ直感かと言いますと、割と当たるからです。直感はイマイチで、話を聞いて”あれ、良い人かも”と思っても、その後にトラブルになったということも多かったのです。
あと、言葉よりも行動を見るようにします。
例えば、ある特定の業界で有名な方にお会いする機会があったとします。その人の本やブログに共感し、すごく自分の中で評価できるものであっても、実際は同業者を蹴落としていたり、人を粗末に扱っていることだって結構あります。自分を崇めてくれる信者だけ大事に扱うような人もいっぱいいます。
余談ですが、私は実際にお会いして”この方なら”と思えばすすんで他の方にもご紹介しますが、お会いしていない方を紹介するのは控えています。
お会いしていない方の中にもたくさん信頼できる方はいるのは知っていますが、今の私は実際に会った時の感覚を大事にしているタイプなのでまだ勇気が出ません。。。
私は誰とでも仲良くはできないので自分の中で線引きしてその中で人と関わっています。
私は今の活動も女性対象としていたり、電話でのやり取りもしませんし、線引きさせてもらってます。こうやって自分なりの基準で人への怖れを軽減させてる部分はあります。
とにかく、文字であれ、言葉であれ、なんであれ、各自の信じられるものを信じるところから始めるしかないのです。
自分の感覚を信じられないと他者の信じる部分を見つけることも難しいのではないでしょうか。
まずは人を選んでいいということです。
聖母のようになる必要はありません。自分の付き合える人から付き合えばいいのです。
苦手な人に対して罪悪感は必要ありません。その人にはその人を大切に思う人がいるのでその人に任せましょう。
苦手な人に愛想を振りまく必要はないし大人としてソコソコで付き合えばいいのです。(変に苦手という態度を取ると余計なことになる可能性もあります。)心はあなただけのもの。態度と心を別に扱えばいいのですから。
友達がほとんどいない人もこれからつくればいいのです。まだまだ自分が出会ってない人たちがたくさんいます。学生の時の友達なんて確たるものです。私なんかは1人も残っていません。社会人になってから知り合った人しか今の私にはいませんし、相変わらず少ないです。結婚式に呼べるのは。。。と考えると落ち込むくらいです。(予定ないけど)
まずは自分の基準を持つこと。
自分を大切にすること。
自分の感覚を否定ばかりしているとなかなか人間関係はうまくいきません。全ては循環です。どこかの流れが悪いと全体の流れも悪くなります。
今が悪循環の中にいるのなら、どこから手をつけたらいいのか分からないかも知れませんが、取っつきやすいところからで構いません。好循環を目指します。時間はかかりますので、今日上手くいかないからと簡単に諦めないでください。
何度か書いてますが、私は人の手を借りながら10年かかってやっと自分のペースが分かって来ました。
私のやり方とみなさんのやり方は同じではありませんし、今でも私は反省点はいっぱいあります。だ
それでも実際に人と会い行動することでしか学べません。お互い少しずつがんばっていきましょう(ノ_<)
やっぱり全てを書ききるのは難しいですが、今日はここまで。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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