4か月ちょっとかかって準備してきた癒しイベント「ふく*ふく癒し市」が終了しました。
本当に大変なのは当日じゃなくて準備だったりします。
小規模のイベントなので出展してくださる方は13名ほどで人数は少ないですが、より親密に関わります。
相手がいることなので自分のタイミングでは物事は運びません。相手の都合やタイミングだったり、性格だったりが関係します。
主催者の私にとっては重要なことでもそれは単なる私の都合なんですよね。
"べき思考"が強かった20代の私だったら無意識に私の都合を押しつけて相手を不快な気持ちにしていたと思います。(今回も全く相手に失礼は無かったとは言い切れません(汗)この場を借りて、もし失礼があったらすみません。)
他者の自由を認められなかったのですね。
恐らく同時に自分自身のことも認めてなかったと思います。
自分を認められない自分を責めてもいました。
今は何でも物事を肯定的にとらえられるようになったというより、ダメな自分を責めなくなったかな(?)と思います。
前向きにとらえなくていいって納得して私は「良い子」から解放されました。
自分の黒い部分(と自分自身が勝手に思ってた)を無くすことが自己成長だと思っていました。
私の中に色んな自分がいたのですが、気に入ってる自分だけ残して嫌いな自分を切り離そうと努力していたんです。
良い面を見ようと努力もしてました。
でもある時、"無理"ってなりました。
嫌なものは嫌、そして嫌だと思ってる自分がいるのが本当だし、"それでいいや!"って吹っ切れたのです。
嫌だと思う自分を許せたら、随分と楽になりました。
心は自由だと思えたのです。
「嫌だと思ってる。」
「うん、そうだね。」
「そう思っても自然だと思う。」
まず気持ちに共感してから、じゃあ行動は何を選択するかを選択する。
自分はこう感じてる。じゃあどうする?って。
納得してるから行動に無理がなく、疲れることも減りました。
"減った"だけなんで、やっぱり繰り返してしまうクセは相変わらずあります。
でも仕方ない。人間だもの。笑
生きてる限り、自分の未熟さや汚い気持ちから解放されることはなく。
そんなぐちゃぐちゃな自分から解放してくれるのが、心地好い人間関係だったり、動物との触れ合いだったり、美味しいもの食べたり、綺麗なものに触れたり見たりすることです。
私の尊敬する方が教えてくれたこと。
「自分を愛することは、瞬間的」
自分を愛するとか、許すとか、受容するなんて瞬間的なのが普通で、その時間が多ければラッキーくらいで良いのかなと。
そう思ったらペットとの時間もそうですし、先日のイベントでも仲間やお客様の温かい気持ちがすごく嬉しくて、良い意味で「無心」になれました。
必死だったのでその時はあまり思わなかったのですが、準備は苦手なこともやらないといけないし自分との戦いだったなと今は思います。
それがイベント出展者の方々、お客様皆さまのお陰で報われた気持ちにさせてもらいました。
人生は山登りのような時もあります。報われるか報われないかは登ってみないと分かりません。
平地は平地の良さがありますが、時には山登りも良いかも知れません。
また、大変だと分かっていても登っちゃうかも?
皆さまは山登り、嫌いですか?
お読みいただきありがとうございました。
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