HSPと環境。

ブログ記事はご無沙汰しておりました。

最近色々ありまして、なかなか書き起こして整理する余裕がありませんでした。

私的な面は忙しいながらも充実していますが、平日の派遣のお仕事が今回はまさに"耳を塞ぎたくなる"職場に当たってしまいました。
(平日は短期間の派遣の仕事ばかりしているので"当たった"という表現がしっくり来ます)

たまたま職場の「膿出し」の時期にご縁をいただいてしまい、現場は険悪でピリピリしています。

思ったことが口に出てしまう方ばかりに囲まれてしまい、放送禁止用語の"ピー"を流したほうがいいんじゃないかというくらいの言葉が普通に聞こえます。。。

そもそも、私は本来別の場所に配属予定だったのですが急遽今の場所に来たので、私の意思はこれっぽっちも無く。

いつもなら険悪そうな職場は事前の職場見学の段階でお断りしますが今回は流されるままにご縁がありました。

私は膿出しのタイミングに当たるのは初めてではありません。

今まで表面的には上手くいってたのに、ある日突然積もり積もった「負債のようなもの」が明らかになり、次々と辞めていくとか。。。

こういう時に私も「かなり空気に敏感なんだな」と気づきます。

勉強会や傾聴セッションで出会う方々のお話を伺うたびに皆さん敏感で繊細な感性をお持ちだなと実感し、逆に「私程度で"敏感"って言って良いのかな?」と自問自答していたのです。

今の職場にいると、「環境」が私から"切り離された存在"では無く、"繋がった存在"なんだなと思いました。

「環境」も私の一部なんだと思ったのです。

逆に「環境」と「私」が区別がハッキリしている方は周りは関係なく行動できるタイプなんじゃないかということです。

私はなぜか目の前で「クソっ!」ってイライラしていると、なぜか"私が何かやったかも"と反射的に責任を感じてしまうのです。

もちろんほぼ関わらない人ならそこまでは思いませんが、私の内的な「環境」の中にいるメンバーに対しては自分でも不思議なくらい"私が何かしてしまってないか"、もしくは"何かしなければいけないのではないか"と動揺してしまいます。

冷静に考えて自意識過剰なんですが、反射的な反応として体質的に備わっているようにさえ思います。

「環境」が整っていればより私らしくのびのびとした自分が出せるのですが、そうでないと畏縮してしまって本来の自分が出ない感じがします。

よくHSPは環境に左右されるとは言いますが、実感としてその意味がよく分かりました。

「私」という存在は実は曖昧なものです。

昨日までの「私」と今の「私」が常に同じではない訳ですし、肉体までが「私」という存在であるとも言い切れません。

説明がうまくないですが、HSPにとっての「私」は周囲の環境を含んでいると考えるとしっくり来ました。

なぜそう考えたかと言えば、パンサーカメレオンのナギを育てていることが大きいです。

カメレオンは変温動物で周囲の環境が大切です。環境が整って初めて存在できるのです。

つまり環境とカメレオンはワンセットです。

そんなことに発想を膨らませていると、自分も同じかもと思ったのです。

私たちは爬虫類のように体温は環境に左右されないにしても、心や体調は環境と影響し合っているのでしょうね。

HSPは特にその度合いが高い人、という捉え方もできるのではないかと今感じています。

結局は楽にはならないのですが、しっくり来たことでむやみに自分を責めずにいられるかなとは思います。

お読みいただきありがとうございます。










感受性を活かす癒しサロン PRINTEMPS*BLANC

名古屋市のほどよい田舎感が残る場所にあります、癒しのサロンPRINTEMPS*BLANC(プランタン・ブラン)のホームページです。 "繊細さん"として浸透して来たHSPという概念。当サロンではHSPの強みでもある豊かな感受性を使ってより自分らしい花を咲かせられるようにお手伝いします。「自分の内側の声を聴く傾聴セッション」はHSPだけでなく自己探究をしている方にも受けていただけます。

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